85年、ウィリアムズへ移籍しその年のヨーロッパGPでようやく初優勝を果たす(72戦目での初優勝は、当時の最遅記録)。
ホンダエンジンの全盛期となった86年は一気にチャンピオン争いに加わる事になったが、最終戦オーストラリアGPは左リアタイヤのバーストによりリタイア、王座はN.ピケとの争いのすきを突いたマクラーレンのA.プロストにさらわれた。
87年は6勝するもリタイアも多く、コンスタントに入賞していたピケにリードを許し、日本GPの予選1日目の大クラッシュにより背中を痛めたことでこのレースと最終戦を欠場に追い込まれ、2年連続で王座を逃す。
89年、フェラーリへ移籍し、90年にはプロストがチームメイトとなるが、母国イギリスGPでリタイア後、突然の引退を表明するが、その後これを撤回して古巣ウイリアムズ復帰を決意する。
91年、再びチャンピオンを逃し「無冠の帝王」と呼ばれたマンセルだったが翌年アクティブ=サスペンションなどを搭載したハイテクマシン「FW14B」で序盤から圧倒的な速さを見せ、遂に念願のワールドチャンピオンに輝いた(16戦中14回のポールポジション、9勝を記録した)。
しかしプロストのウィリアムズ入りや年俸ダウンかつジョイントナンバー1扱いという契約を嫌い、「私の力の及ばない理由により、今シーズン限りでのF1からの引退を決めた」と発言して翌年はアメリカのCARTチャンピオンになった。
94年、A.セナの死後、活気を失ったF1に呼び戻され、三度ウィリアムズをドライブすることとなる。
最終戦オーストラリアGPではポールポジションを獲得、決勝でも優勝した(F1での最後の勝利、31勝目)。
My tribute to British Formula 1 driver Nigel Mansell.
31 wins
32 pole positions
1 world championship
Teams: Lotus (1980-84), Williams (1985-88, 1991-92, 1994), Ferrari (1989-90), McLaren (1995).
31 wins
32 pole positions
1 world championship
Teams: Lotus (1980-84), Williams (1985-88, 1991-92, 1994), Ferrari (1989-90), McLaren (1995).
Nigel Mansell Tribute
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