レーシングギア/Racing Gear

Kimi Raikkonen 2007 World Champion
F1GPニュース・動画WEB

2008年04月19日

【F1動画】名ドライバー集10/ゲルハルト・ベルガー

ゲルハルト・ベルガー(オーストリア)は1984年のオーストリアGPでATSからデビュー、翌年アロウズに移籍する。
87年からはフェラーリへ移り翌年の地元イタリアGPを制した(この年、誕生日に何が欲しいかというジャーナリストの質問に「ホンダエンジン」と答えた)。
またこれはマクラーレン・ホンダが16戦中15勝と圧倒的な強さの中唯一落としたレースでもあった。
89年はサンマリノGPでクラッシュしマシンが炎上するなど15戦中12回はリタイヤであったが、完走した3戦はすべて表彰台にのぼり、ポルトガルGPでは優勝した。
90〜92年までマクラーレンに在籍し、計3勝を挙げ92年最終戦オーストラリアGPでの優勝は「第2期ホンダ最後のレースでの優勝」という感動的なものであった。
93年からはフェラーリへ戻り3年間の在籍の中で94年イタリアGPでの優勝はファンにとって印象深いものとなった(この時ベルガーは"フェラーリを2度復活させた男"と呼ばれた)。
ベネトンで戦った96・97年は低迷し(だが97年ドイツGPではハットトリックを達成した)、シーズン終了間際に引退を発表した。

悪戯好きとしても知られるベルガーであったが、神経質と言われていたA.セナとの関係は良好で数々の悪戯を仕掛けては許されている。
近代F1の世界でかつての大らかなレーサー気質を受け継いだ存在として、その悪戯好きの性格はチームやメディア関係者に愛されていた。
尚、近年はトロ・ロッソチームの共同オーナーとして再びF1の世界に戻っている。

Austrian F1 driver from 1984 to 1997
Race:210 / Win:10 / PP:12 / FL:21 / 386pts

Gerhard Berger tribute

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posted by tomoppp at 20:32 | F1動画/名ドライバー集

2008年04月05日

【F1動画】名ドライバー集9/デーモン・ヒル

デーモン・ヒル(イギリス)は1991年名門ウィリアムズにテストドライバーとして大抜擢され、92年にブラバムでデビューした。
93年、前年まで在籍していたN.マンセルとR.パトレーゼが離脱したため、レギュラードライバーに昇格、A.プロストのチームメイトとして参戦、初勝利となったハンガリーGPから3連勝するなど着実に成長を遂げていった。
翌94年、サンマリノGPでのA.セナのアクシデントによりエースドライバーとなったヒルは、M.シューマッハの出場停止もあって6勝し最終戦直前では1点差まで追いつくものの、最終戦でシューマッハと接触。
この結果2人ともリタイアし初のチャンピオンはシューマッハのものとなった。
95年は戦略に優れたベネトンのシューマッハに差をつけられ、再びチャンピオンを逃してしまう。
96年、前年のインディ・チャンピオンで当時「驚異の新人」と言われたチームメイトのJ.ヴィルヌーヴを振り切ってのチャンピオン獲得となった。
アロウズに移籍した97年は低迷したがそこでもヒルは得意のマシン開発能力を発揮し(ヒルが開発に携わったチームを見ていくと、ウィリアムズ、アロウズ、ジョーダンともに、その時期だけ好成績を残している)、ハンガリーGPでは予選3位からトップを快走、終盤にギヤボックストラブルで失速しファイナルラップでヴィルヌーヴに抜かれ惜しくも優勝は逃したものの2位に入り、「このレースの真の勝者はデーモン」と言われた。
翌年はジョーダンに移籍し前半戦は苦戦を強いられたものの、ベルギーGPでの雨の波乱含みのレースでジョーダンに初勝利をもたらした(ヒル自身にとって最後の優勝であり、ウィリアムズ以外のチームで挙げた唯一の勝利でもあった)。
99年は成績もぱっとせず、年齢的な限界もありこの年をもって引退することとなった。

Damon Hill Tribute

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posted by tomoppp at 21:02 | F1動画/名ドライバー集

2008年04月02日

【F1動画】名ドライバー集8/ロニー・ピーターソン

ロニー・ピーターソン(スウェーデン)は1970年マーチからデビュー、71年には5回の表彰台を獲得し(2位4回)高評価を得る。
73年、ロータスに移籍したピーターソンはポールポジション9回・優勝4回と活躍を見せるが、その割には安定性を欠き結局選手権3位に終わった。
74年・75年・76年はマシンの戦闘力不足もあり成績は低迷する。
77年、ティレルへ移籍しP34(6輪車)をドライブすることになったが、タイヤの開発問題で前年活躍を見せたマシンは戦闘力を失い、ベルギーGPでの3位以外は活躍できず、この年は14位とさらに低迷した。
翌年、古巣ロータスへ戻りM.アンドレッティとチャンピオン争いを繰り広げたが、第14戦イタリアGPのスタート直後に多重クラッシュが発生、ピーターソンはアクシデントに巻き込まれて両足にケガを負ってしまう。
マシンから救出された時には意識はあったがその夜、骨折により容態が急変し(よく医療ミスと言われることがあるが、骨折から"病気を発症した"というのが正しい)翌日に息を引き取った。

N.ラウダはピーターソンのことについて、、「ドイツGPだったらロニーは助かった」という意味の発言をしている。
彼は2年前のドイツGPで大クラッシュをしたのだが、当時イタリアよりレベルが高いと考えられていたドイツの医療に助けられたからである。

F1 Tribute - Ronnie Peterson

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posted by tomoppp at 16:52 | F1動画/名ドライバー集