レーシングギア/Racing Gear

Kimi Raikkonen 2007 World Champion
F1GPニュース・動画WEB


Videoclip of Brazilian GP, last kimi's victory of 2007
ライコネンがチャンピオンを決めたF1GP2007最終戦ブラジル

2008年05月06日

【F1動画】名ドライバー集12/ファン・パブロ・モントーヤ

ファン・パブロ・モントーヤ(コロンビア)は2001年名門ウイリアムズからデビュー、その年のイタリアGPで早くも初優勝、2003年にはM.シューマッハ、K.ライコネンなどとチャンピオン争いにも加わるなど活躍(チームメイトのR.シューマッハとは険悪な関係であった)。
2005年、マクラーレンへ移籍し3勝したものの、シーズン序盤で腕の骨折で2戦欠場しセカンドドライバー的な立場を強いられることとなった(理由は「トレーニングのテニスでボールに乗って足を滑らせたため」と発表したが、「オートバイで遊んでいて転倒した」という噂も流れた)。
翌年もチーム低迷と共に精彩を欠いたことから中盤、突然マクラーレンを離脱した。
その後はアメリカのNASCARに活動の拠点を移し、ネクステルカップシリーズに参戦中である。

tribute to Juan Pablo Montoya

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posted by tomoppp at 20:29 | F1動画/名ドライバー集

2008年04月26日

【F1動画】名ドライバー集11/ジェームス・ハント

ジェームス・ハント(イギリス)は73年第6戦モナコGPでマーチからデビュー、75年には初優勝するなどの活躍で翌年のマクラーレンのエースに抜擢された。
76年は優勝を2度失格で取り消されたが(1回は後に再認定)、フェラーリのN.ラウダがドイツGPのアクシデントで欠場する間にポイント差を詰めて最終戦日本GPで逆転し見事チャンピオンに輝く。
77年も3勝はしたが(日本GPでは優勝したが表彰式を欠席して帰った)復活したラウダにタイトルを奪還されてしまった。
78・79年は低迷し、シーズン中に現役引退を表明することとなった。
引退の理由については「チャンピオンシップがマシンの性能に左右され、ドライバーの腕が反映されにくくなり興味を失った」と述べている。

A tribute to james Hunt - By Gabriel Rocha

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posted by tomoppp at 20:20 | F1動画/名ドライバー集

2008年04月19日

【F1動画】名ドライバー集10/ゲルハルト・ベルガー

ゲルハルト・ベルガー(オーストリア)は1984年のオーストリアGPでATSからデビュー、翌年アロウズに移籍する。
87年からはフェラーリへ移り翌年の地元イタリアGPを制した(この年、誕生日に何が欲しいかというジャーナリストの質問に「ホンダエンジン」と答えた)。
またこれはマクラーレン・ホンダが16戦中15勝と圧倒的な強さの中唯一落としたレースでもあった。
89年はサンマリノGPでクラッシュしマシンが炎上するなど15戦中12回はリタイヤであったが、完走した3戦はすべて表彰台にのぼり、ポルトガルGPでは優勝した。
90〜92年までマクラーレンに在籍し、計3勝を挙げ92年最終戦オーストラリアGPでの優勝は「第2期ホンダ最後のレースでの優勝」という感動的なものであった。
93年からはフェラーリへ戻り3年間の在籍の中で94年イタリアGPでの優勝はファンにとって印象深いものとなった(この時ベルガーは"フェラーリを2度復活させた男"と呼ばれた)。
ベネトンで戦った96・97年は低迷し(だが97年ドイツGPではハットトリックを達成した)、シーズン終了間際に引退を発表した。

悪戯好きとしても知られるベルガーであったが、神経質と言われていたA.セナとの関係は良好で数々の悪戯を仕掛けては許されている。
近代F1の世界でかつての大らかなレーサー気質を受け継いだ存在として、その悪戯好きの性格はチームやメディア関係者に愛されていた。
尚、近年はトロ・ロッソチームの共同オーナーとして再びF1の世界に戻っている。

Austrian F1 driver from 1984 to 1997
Race:210 / Win:10 / PP:12 / FL:21 / 386pts

Gerhard Berger tribute

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posted by tomoppp at 20:32 | F1動画/名ドライバー集