F1動画/1990年代 (2) - F1GP動画WEB

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【F1動画】1991年ポルトガルGP マンセル失格

1991年ポルトガルGPは、スタートでナイジェル・マンセルが2位に上がり、ウィリアムズのワンツー体制を築く。リカルド・.パトレーゼはマンセルにトップを譲り、30周目にマンセルがピットイン。

ウィリアムズのクルーはいつものように作業を済ませ、マンセルを送り出したかに見えた。が、ピットアウトしようとマンセルがステアリングを切った瞬間、右リアタイヤが外れたのである。マシンはピットレーンでストップした。

⇒【F1動画】1991年ポルトガルGP マンセル失格

ピットレーン上で作業を行うことは、レギュレーション違反となっている。しかし、事態に慌てたウィリアムズのクルーは、ピットレーン上で復旧作業し、マンセルを送り出した。

マンセルは復帰して追い上げたものの、52周目にブラックフラッグが振られ失格となった。ちなみに、1989年のポルトガルGPでも、マンセルはピットインの際リバースギアを使い失格となっている。


ただし、このレースのファステストラップは、一般的には36周目のマンセルのものとされている。マンセルは、同年カナダGPでもファイナルラップ中にストップしてしまうという事態を起こしている。その原因は観衆に向かって手を上げようとしたところ、スイッチに手が当たってエンジンが停止したのだ。この2つのレースで勝てていれば1991年のF1チャンピオンになっていた可能性は十分にあった。


【F1動画】1999年ヨーロッパGP 大波乱のニュルブルクリンク

1999年のF1サーカスは、ニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGP前戦のイタリアGPで、ミカ・ハッキネン、エディ・アーバインが同ポイントとなり、チャンピオン争いはますます盛り上がりを見せていた。

⇒【F1動画】1999年ヨーロッパGP 大波乱のニュルブルクリンク

迎えたヨーロッパGP。グランプリ開催中、雨が降っては止むという山岳地帯独特の天候が続いた。スタート直後、1コーナーで多重クラッシュが発生し再スタート。

ポールポジションからスタートしたハインツ・ハラルド・フレンツェンがレースをリードしていく。だが、ピットストップを終えコースに戻った直後、トラブルによりリタイアしてしまう。

これを境にデビッド・クルサード、ジャンカルロ・フィジケラ、ラルフ・シューマッハと、トップに立ったドライバーが続々とトラブルで消えていく展開。大波乱のレースを制したのはJ.ハーバートとなった。

【F1動画】1998年F1ベルギーGP デイモン・ヒル現役最後の勝利

1998年のスパフランコルシャン。F1ベルギーGP。天候は生憎のスパウェザー。

スタートでの多重クラッシュで始まった大波乱の1998年ベルギーGPは、再スタートでポールシッターのミカ・ハッキネンがスピンし、デイモン・ヒルがトップに立った。

その後ヒルはミハエル・シューマッハに抜かれるが、そのシューマッハがアクシデントでリタイアとなり、トップに返り咲いたヒルが逃げ切る。

⇒【F1動画】1998年F1ベルギーGP デイモン・ヒル現役最後の勝利

ジョーダン・無限ホンダとしては初優勝。しかもチームメイト、ラルフ・シューマッハとともにジョーダンがワンツー・フィニッシュ。ヒルにとっては、現役最後の勝利となった。

1998年F1ベルギーGPリザルト
1 Damon Hill Jordan
2 Ralf Schumacher Jordan
3 Jean Alesi Sauber
4 Heinz Harald Frentzen Williams
5 Pedro Diniz Arrows
6 Jarno Trulli Prost

【F1動画】F1 1996年イタリアGP ヒル・リタイヤ

1996年F1イタリアGP。

ウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが開幕3連勝を決めて始まった1996年F1サーカスが、この年もモンツァにやってきた。ヒルは、得意とする先行逃げ切りで勝利を重ねたが、第11戦のドイツGP以降勝てないグランプリが続いている。

1986年シーズンも終盤に差し掛かってきたこのイタリアGPで、ヒルはポールポジションを獲得、タイトルに王手をかけようとしていた。

しかしレース中盤、彼にミス。1コーナーのイン側に積まれていた古タイヤに接触したヒルはスピンしリタイアとなる。結果、このレースを制したフェラーリのミハエル・シューマッハ。地元のファンを大いに喜ばせることとなった。

⇒【F1動画】F1 1996年イタリアGP ヒル・リタイヤ

【F1動画】F1 1994年オーストラリアGP ダーティな結末

1994年F1グランプリのタイトル決定の舞台となった最終戦オーストラリアGPアデレード市街地コース。ベネトン・フォードのミハエル・シューマッハとウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが1ポイント差でタイトルを争う。

レース中盤、ヒルの追い上げにプレッシャーを受けコースアウトしたシューマッハは、ダメージを負ったマシンで強引にコースに戻りヒルのマシンに接触。この結果2人ともリタイアし、初のワールドチャンピオンはシューマッハのものとなった。

⇒【F1動画】F1 1994年オーストラリアGP ダーティな結末

その後、シューマッハは翌年の1995年もタイトルを手中に収める。そして、2000年にチャンピオンに返り咲き、皇帝の時代が続くものの、2005年、2006年とアロンソに完膚なきままに破れたシューマッハは引退することとなる。

セナ亡き後、シューマッハは皇帝の名声をほしいままにしたが、この1994年の最終戦、また、ジャックビルヌーブとタイトルを争って敗れた1997年の最終戦は、「勝つためなら汚いことでも何でもやる」という彼のダーティな姿勢に批判するF1ファンもいまだ多い。

皮肉にも、「強いシューマッハ」に憧れ、2000年以降、日本全国でブームを巻き起こしたキッズカートの小さなドライバーたちの多くは、彼のレプリカヘルメットをかぶることとなる。

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