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【F1動画】1982年F1グランプリ ケケ・ロズベルグわずか1勝でチャンプ

1982年はF1史上最も荒れた年のひとつであった。コンストラクターズタイトルはフェラーリが獲得したものの、ジル・ヴィルヌーブの死、シーズン途中で引退したディディエ・ピローニの重傷という悲劇を生み、この年のフェラーリは血塗られた赤い年となった。

1982年のF1ドライバーズタイトルは、誰がピローニのポイントを上回るかということに注目が集まったが、マクラーレン・フォードのジョン・ワトソンとニキ・ラウダ、ルノーのアラン・プロストらは2勝するもリタイヤが多く波に乗れない。

トップチームのウィリアムズに移籍した若手のケケ・ロズベルグはこの年、一気にチャンピオン争いに加わる。第14戦スイスGPでプロストとラウダを抑えてやっと1勝を上げ、ポイント争いで首位に立つ。続くイタリアGPではプロストとラウダが脱落し、ワトソンだけにチャンスが残る。最終戦アメリカGPで、ワトソンは優勝を目指すが、ロズベルグも入賞して1982年F1チャンピオンを決めた。

⇒【F1動画】1982年F1グランプリ ケケ・ロズベルグ1勝でチャンプ

優勝ドライバー数11人、表彰台に上がったドライバー数18人、入賞したドライバー数29人と、後にも先にもこれ以上の波乱の年はない。ロズベルグがたった1勝でチャンピオンになったことからも、この年がとれだけ混戦だったかが推察できる。

【F1動画】F1グランプリ アラン・プロスト逆転連覇 1986年総集編

1986年のF1グランプリ。コンストラクターズタイトルは、ウィリアムズ・ホンダが圧倒的な強さで早々と確定するものの、ドライバーズタイトルはシーズン終盤に混迷する。

⇒【F1動画】F1グランプリ アラン・プロスト逆転連覇 1986年総集編

第14戦ポルトガルGPはナイジェル・マンセルが優勝して初のタイトルに王手をかけ、前年1985年の王者アラン・プロストは11点差2位と離される。

次戦メキシコGPでは、ベネトンの若手ゲルハルト・ベルガーが初優勝を果たした。タイヤトラブルでウィリアムズ勢は失速、プロストが2位となり、ポイントリーダーであるマンセルとの差を6点に縮める。



そして迎えた最終戦オーストラリアGP。マンセルには3位に入ればチャンピオンというアドバンテージがあったのだが、タイヤバーストでレースを終えてしまう。ネルソン・ピケがタイヤを心配してピットインする間に、プロストはちゃっかりトップに立ち、そのまま優勝してチャンピオン決めてしまう。

「プロフェッサー」と呼ばれる由縁である速さに確実性を兼ね備えた走りに徹したアラン・プロストが最後に笑った。

【F1動画】1989年フランスGP 宙を舞うマウリシオ・グージェルミン

1989年フランスGPは、スタートしていきなりマウリシオ・グージェルミンが宙を舞うアクシデントが発生、赤旗が提示されてスタートはやり直された。

⇒【F1動画】1989年フランスGP 宙を舞うマウリシオ・グージェルミン

再スタートではアイルトン・セナがわずか200mほど走ってマシンを路肩に止めた。後に彼は「生涯で一番短いレース」と語っている。

アレキサンドロ・ナニーニは、ドライブシャフトを破損しコントロールを失って大スピン。危うく前車に追突するところであった。

1989年フランスGPでティレルからデビューしたジャン・アレジは、初レースを4位で終えた。
また、スタートでクラッシュを演じたグージェルミンが再スタート後に激走を見せ、なんとファステストラップまで記録した。

そしてこのレース、猛暑の中、アラン・プロストが2位以下に大差をつけて優勝を飾った。

【F1動画】F1グランプリ1983年総集編 チャンピオンはネルソン・ピケ

1983年のF1サーカスは、コンストラクターズタイトルを獲得したのはフェラーリ。一方、チャンピオン争いはシーズン終盤、一気にもつれこんだ。

第11戦までは、ルノーのアラン・プロストがポイントリーダー。プロストに念願のチャンピオンが見えていた。しかし、次のオランダGPで、ポイント2位、ブラバムBMWのネルソン・ピケとプロストは接触し両車リタイアしてしまう。ここから流れが変わっていった。

⇒【F1動画】F1グランプリ1983年総集編 ネルソン・ピケ逆転チャンプ

BMWエンジンのパワー向上に追い風を受けて息を吹き返したピケは、イタリアGP・ヨーロッパGPと2連勝。逆にプロストは進化が止まったルノーに嫌気がさし、一気に失速していく。

最終戦でもピケは絶好調、プロストはトラブルでリタイアした。ピケはペースを落として安全第一で走り、3位で2回目の王座を仕留めた。ルノーとの仲が悪化したプロストはシーズン終了後マクラーレンへ移籍する。

【F1動画】1989年ポルトガルGP ナイジェル・マンセル ピット逆走違反

1989年F1ポルトガルGP。この年のアイルトン・セナは16戦中13回のポールポジションを獲得。
ちなみに、年間最多ポールポジションは、1992年ナイジェル・マンセルの14回、1988年セナ自身の13回、1993年のアラン・プロストの13回。

1989年F1ポルトガルGPの決勝では、ベルガー、マンセルのフェラーリ勢が先行し、セナ、プロストと続き、28周目にマンセルが首位に立つ。その後、マンセルはタイヤ交換のためにピットイン。しかし、ブレーキミスでオーバーランしてしまう。

⇒【F1動画】1989年ポルトガルGP ナイジェル・マンセル ピット逆走違反

本来ならば、このような場合ではクルーの手によってマシンをピットに戻さなければならないところを、マンセルはリバースギアで走行し、ピット逆走というレギュレーション違反を犯す。そして、ピットアウト後3周にわたって失格の意味する黒旗を無視した。

その後、マンセルとセナは激しい2位争いを続け、最終的に1コーナーで二人は接触し共にリタイア。結局ベルガーがこのレースを制し、2位はプロストだった。マンセルは次戦出場停止処分。セナは前戦イタリアGPから2戦連続リタイアにりタイトル獲得は絶望的となった。

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