【F1動画】1982年F1グランプリ ケケ・ロズベルグわずか1勝でチャンプ
2011年06月19日 21:30
| F1動画/1980年代
1982年はF1史上最も荒れた年のひとつであった。コンストラクターズタイトルはフェラーリが獲得したものの、ジル・ヴィルヌーブの死、シーズン途中で引退したディディエ・ピローニの重傷という悲劇を生み、この年のフェラーリは血塗られた赤い年となった。
1982年のF1ドライバーズタイトルは、誰がピローニのポイントを上回るかということに注目が集まったが、マクラーレン・フォードのジョン・ワトソンとニキ・ラウダ、ルノーのアラン・プロストらは2勝するもリタイヤが多く波に乗れない。
トップチームのウィリアムズに移籍した若手のケケ・ロズベルグはこの年、一気にチャンピオン争いに加わる。第14戦スイスGPでプロストとラウダを抑えてやっと1勝を上げ、ポイント争いで首位に立つ。続くイタリアGPではプロストとラウダが脱落し、ワトソンだけにチャンスが残る。最終戦アメリカGPで、ワトソンは優勝を目指すが、ロズベルグも入賞して1982年F1チャンピオンを決めた。
⇒【F1動画】1982年F1グランプリ ケケ・ロズベルグ1勝でチャンプ
優勝ドライバー数11人、表彰台に上がったドライバー数18人、入賞したドライバー数29人と、後にも先にもこれ以上の波乱の年はない。ロズベルグがたった1勝でチャンピオンになったことからも、この年がとれだけ混戦だったかが推察できる。
1982年のF1ドライバーズタイトルは、誰がピローニのポイントを上回るかということに注目が集まったが、マクラーレン・フォードのジョン・ワトソンとニキ・ラウダ、ルノーのアラン・プロストらは2勝するもリタイヤが多く波に乗れない。
トップチームのウィリアムズに移籍した若手のケケ・ロズベルグはこの年、一気にチャンピオン争いに加わる。第14戦スイスGPでプロストとラウダを抑えてやっと1勝を上げ、ポイント争いで首位に立つ。続くイタリアGPではプロストとラウダが脱落し、ワトソンだけにチャンスが残る。最終戦アメリカGPで、ワトソンは優勝を目指すが、ロズベルグも入賞して1982年F1チャンピオンを決めた。
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優勝ドライバー数11人、表彰台に上がったドライバー数18人、入賞したドライバー数29人と、後にも先にもこれ以上の波乱の年はない。ロズベルグがたった1勝でチャンピオンになったことからも、この年がとれだけ混戦だったかが推察できる。