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Kimi Raikkonen 2007 World Champion
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【F1動画】名ドライバー集13/リカルド・パトレーゼ

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リカルド・パトレーゼ(イタリア)は1977年モナコGPでシャドウからデビュー、翌78年アロウズに移籍。
スウェーデンGPで初表彰台を獲得した他、いくつかのレースで入賞する。
しかし第14戦イタリアGPでロニー・ピーターソンが犠牲となったあのスタート直後の多重クラッシュの原因とされてしまう。(後の裁判で「レーシング・アクシデント」とされた)
82年、ブラバムに移籍し第6戦モナコGPで初優勝を飾る(ファイナルラップでトップが入れ替わり、パトレーゼ本人はチェッカーを受けた後ピットに戻るまで、勝った事を知らないままであった)。
ブラバムとアルファロメオで戦った84〜88年はマシンの信頼性不足で優勝どころではなく入賞がやっとの状態であった。
ウイリアムズに移籍した89年、6回表彰台に上りランキングは3位。
そして90年サンマリノGPでようやく99戦ぶりの優勝を飾った(優勝と優勝の間が最も長い記録)。
91年はシーズン前半チームメイトのN.マンセルを凌ぐ速さを見せ、メキシコGP・ポルトガルGPではポールトゥーウィンも達成した。
翌年はFW14Bが圧倒的な速さを見せ、年間で10勝するもパトレーゼが勝ったのは日本GPでの1勝だけで、6回の1-2フィニッシュのうちすべてのにおいてパトレーゼは2位であった。
パトレーゼはランキングで自身最高の2位であったが、マンセルにかなわないことが多くチームオーダー等から、やや納得のいかないシーズンとなってしまった。
93年には年俸やチームのやり方への不満などからベネトンに移籍したが、チームがM.シューマッハ中心主義であり精彩を欠いたことで翌年のシート失い、そのまま事実上引退という形となった。

89年以来、通算256戦の最多出走記録を持っていたパトレーゼだったが、2008年の第5戦トルコGPでR.バリチェロによって更新された。
ある雑誌のインタビューでパトレーゼはこう語っている。
「記録を破られるのは悲しいことだ。しかし、記録は破られるためにあるようなもの。19年間も記録を保持していたのだから、私はそれを誇りに思っている。最多出走記録は破られたが、これからはその"保持期間"に挑戦してもらおうじゃないか。そして、ルーベンスには心からおめでとうと言いたいよ。」

This is my tribute to Riccardo Patrese who raced in Formula One from 1977 - 1993. In his career he had 6 grand prix wins, 37 podium finishes, and he finished as high as 2nd (1992) in the world championship points.

A Riccardo Patrese Tribute

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