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【F1動画】名ドライバー 大英帝国の愛すべき息子 ナイジェル・マンセル

1980年にデビューしたイギリス人F1ドライバーナイジェル・マンセルは、1984年までの5シーズンをロータスで過ごした。
マンセル自身初のポールポジションとなった1984年のアメリカGPでは、チェッカー目前のクラッシュでミッションを壊してしまい、自らマシンを押しているうちにチカラ尽きて気絶したというウソのような逸話をもつ。

1985年、ウィリアムズへ移籍したマンセルは、その年のヨーロッパGPで初優勝を果たす。72戦目での初優勝は、当時の最遅記録であった。ホンダエンジンの全盛期となった1986年は、一気にチャンピオン争いに加わることとなったが、最終戦オーストラリアGPは左リアタイヤのバーストによりリタイア、王座はネルソン・ピケとの争いのすきを突いたマクラーレンのアラン・プロストにさらわれた。

1987年、ナイジェル・マンセルは6勝。しかし、リタイアも多く、コンスタントに入賞していたピケにリードを許す。また、日本GPの予選1日目の大クラッシュにより背中を痛め、残りのグランプリレースを欠場、2年連続で王座を逃した。

⇒【F1動画】名ドライバー 大英帝国の愛すべき息子 ナイジェル・マンセル

1989年、フェラーリへ移籍。1990年には母国イギリスGPでリタイア後、引退を表明するが、その後これを撤回して古巣ウイリアムズでのF1復帰を決意する。

1991年、再びチャンピオンを逃し「無冠の帝王」と呼ばれたマンセルだったが、翌1992年、アクティブサスペンションなどを搭載したハイテクマシン「FW14B」で序盤から圧倒的な速さを見せ、遂にマンセルは念願のF1ワールドチャンピオンに輝いた。なんと、16戦中14回のポールポジション、優勝9回と、圧倒的な記録を残す。


しかし、プロストのウィリアムズ入り、年俸ダウン、その他契約上の不利益変更を嫌い、「私の力の及ばない理由により、今シーズン限りでのF1からの引退を決めた」と発言してF1を去るも、翌1993年にはアメリカのCARTチャンピオンになった。

1994年、アイルトン・セナの死後、活気を失ったF1に呼び戻され、三度ウィリアムズをドライブすることとなる。最終戦オーストラリアGPではポールポジションを獲得、そして31勝目。大英帝国の愛すべき息子ナイジェル・マンセルのF1での最後の勝利だった。


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