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【F1動画】名ドライバー プロフェッサー アラン・プロスト

アラン・プロスト。1980年、マクラーレンからデビューしたフランス人F1ドライバー。
1981年から1983年をルノーで過ごす。1984年、マクラーレンに戻ってニキ・ラウダと接戦を繰り広げるが、わずか0.5ポイント差でチャンピオンをのがす。

1985年、1986年のプロストは、ジャック・ブラバム以来26年ぶりの2年連続F1チャンピオンとなる。1987年は苦戦を強いられ、3勝するもドライバーズランキングは4位となった。だが、ポルトガルGPでのシーズン3勝目は、自身通算28勝目。ジャッキー・スチュワートの持つF1最多勝記録を破るものだった。

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1988年のアラン・プロストは、ホンダエンジンとともにマクラーレンに移籍してきたアイルトン・セナの前に屈する。その頃すでに、プロストとセナとの人間関係は問題となりつつあった。

1988年ポルトガルGP。セナがプロストに対し意図的にコンクリート壁へ危険な幅寄せを行った、いわゆる「幅寄せ事件」から二人の関係は悪化する。1989年、セナとの確執はサンマリノGPでの「紳士協定事件」により完全に表面化するが、この年のプロストはポイントでセナに圧勝し、3度目の王座を手にする。



1991年、フェラーリで1勝もできなかったプロストは翌年の休養を発表する。復帰した1993年は、宿敵セナはもちろん、デイモン・ヒル、ミハエル・シューマッハらが台頭してきたため、プロストは楽に勝たせてはもらえなくなった。そんな中、所属するウィリアムズに翌年セナが移籍してくることが確実になると、自らのモチベーションの低下から、ポルトガルGP開催中に引退を発表。

そのレースで2位に入り、プロストは4回目のチャンピオンの座を獲得する。また、最終戦オーストラリアGPではセナと和解し、表彰台で握手をしてみせた。二人の長年の確執を知る関係者やファンにとっては一つの時代の終幕を物語っていた。

プロストがチャンピオン争いをした年は8回。その半分は失っているものの、彼の特徴は、年間を通して無理をしないこと、速いマシンに乗れるように常に自らアピールすることである。F1で結果を残すには、ドライバーの腕だけでなく、良いチーム、良いマシンに乗れなければならない。プロストはそれをよく知っていた。


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