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【F1動画】コンストラクター ウイリアムズの歴史

F1コンストラクターのひとつ、ウイリアムズ。正式名称を、ウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングという。

ウイリアムズは1976年、フランク・ウイリアムズとパトリック・ヘッドによって設立された。4年後の1980年、初のコンストラクターズタイトルを獲得し、アラン・ジョーンズをチャンピオンへ導く。

1982年には、ターボ全盛期において非力なNAエンジンで戦いを挑み、マシンバランスが良くポイントを重ねたケケ・ロズベルグがわずか1勝のみでチャンピオンに輝いた。

⇒【F1動画】コンストラクター ウイリアムズの歴史1980 F1 season

⇒【F1動画】コンストラクター ウイリアムズの歴史The Williams F1 Collection



1985年からは、ウイリアムズは当時最強と言われていたホンダエンジンで1986年、1987年のコンストラクターズタイトルを獲得。しかし、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル二人の所属ドライバーの確執から、レースには強いもののチームにとっては冬の時代であった。

その後、1989年からルノーエンジンと契約を結び、エイドリアン・ニューウェイを迎え入れたウイリアムズは黄金期を迎える。1992年、アクティブサスペンションを搭載したウイリアムズFW14Bは年間10勝という記録を残し、翌年はその改良型としてFW15Cが投入されアラン・プロストをチャンピオンへと導いた。

1994年はアイルトン・セナを迎え、メインスポンサーをキャノンからロスマンズとし、カラーリングも一新される。しかし、第3戦サンマリノGPでセナはタンブレロ・コーナーでコンクリートウォールに激突し、帰らぬ人となってしまった。

これにより事実上チーム・ナンバーワンドライバーとなったデーモン・ヒルは1996年、圧倒的な強さでチャンピオンとなる。ヒルが離脱した1997年は、ジャック・ビルヌーブが激闘の末チームに2年連続チャンピオンをもたらした。

⇒【F1動画】コンストラクター ウイリアムズの歴史Damon Hill vs Jacques Villeneuve 1996

1998年と1999年のウイリアムズは、ウィンフィールドをスポンサーとし、赤いマシンカラーとなったが、コンペティティブなマシンとは言えず、優勝戦線からは遠ざかってしまう。2000年からはBMWエンジンを搭載、ファン・パプロ・モントーヤとラルフ・シューマッハがチャンピオン争いにも加わる走りを見せ、2006年からはニコ・ロズベルグと中嶋一貴をレギュラーに起用した。

ウイリアムズは、伝統的にチームオーダーを排する。チームメイト間に平等に戦わせるという方針を一貫してとっており、マクラーレンと同じようにいくつかのタイトルを落としてた。


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