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【F1動画】フェラーリの暗い過去 1982年イモラ悲劇のチームオーダー

1982年、マラネロは2度と繰り返したくない惨劇を味わうこととなった。
この年、フェラーリは、ジル・ヴィルヌーヴとディディエ・ピローニの2人を擁していたが、ヴィルヌーヴがベルギーで事故死、ピローニがドイツの大クラッシュで選手生命を絶たれてしまったのだ。

そんな悲劇が待ち受けているとは知らない2人は1981年からチームメイトで仲が良かった。
だが、1982年サンマリノでの今後の2人の運命を決定づける事件によって関係は一変することとなる。

トップはジル・ヴィルヌーヴ、ピローニが2位と、フェラーリのワンツーで熱狂するティフォシ達。
そんな中、45周目、ピットからチームオーダーが出された。「チームはヴィルヌーヴ優先で戦う」。ところが、残り2周のところでピローニがヴィルヌーヴをかわして0.3秒差のトップでチェッカーを受けてしまう。

⇒【F1動画】フェラーリの暗い過去 1982年イモラ悲劇のチームオーダー

ジル・ヴィルヌーヴは当然表彰台でピローニと目を合わそうとはしなかった。
そして、この瞬間からのピローニに対しての憎悪が、次戦ベルギーでの事故につながる原因の一つであると考えていいだろう。

ピローニもまた、ドイツGPを最後にF1から退いた後、1987年にパワーボート事故でこの世を去る。


悲劇の1年を送ったフェラーリはコンストラクターズ・タイトルを獲得した。
しかし、フェラーリにとって、2人の若い才能に溢れたドライバーを失ったことは、代償としてあまりにも大きすぎるものであった。

【F1動画】1975年スペインGP ロルフ・シュトメレン

1975年、4回目の開催となるモンジュイック・パークでのスペインGP。
しかし、このモンジュイックは多くのドライバーたちからガードレールの危険性が指摘されていた。

そして、レースはスタートとほぼ同時にフェラーリのニキ・ラウダとクレイ・レガツォーニが接触してリタイア。
さらに、ウィルソン・フィッティバルディとアルトゥーロ・メルツァリオがレース開催へのボイコットのためオープニングラップで抗議のリタイアをした。

次から次へとアクシデントが起こる中、トップに立っていたロルフ・シュトメレンのマシンからリアウイングが吹き飛ぶという極めて危険な事態が発生。
ダウンフォースを失ったシュトメレンはコントロールを失い、ガードレールへと側面から激突。
マシンはガードレールを越えて観客席に方へ突っ込んだ。このアクシデントで観客4名が犠牲になり、シュトメレン自身も重傷を負った。

⇒【F1動画】1975年スペインGP ロルフ・シュトメレン Rolf Stommelen crash at Montjuich Park 1975

レースは29週目で赤旗、そしてそのまま中止となった。
そしてレース距離が規定の75%未満だったため、入賞者へのポイントはそれぞれハーフポイント制がとられた。
これはF1の歴史上初めてのことである(最近の例は2009年マレーシアGP)。

【F1動画】マーシャルカー激突 井上隆智穂の悲劇 1995年ハンガリーGP

1995年ハンガリーGPの29周目、アロウズの井上隆智穂がトラブルでマシンから降り、炎が出ていたマシンに消化器を持って近寄ったところ、突っ込んできたマーシャルの車はねられるという事態が起こった。

⇒【F1動画】マーシャルカー激突 井上隆智穂の悲劇 1995年ハンガリーGP

大事に至らなかったのは何よりではあるが、この年のモナコでも同じような事態が発生しており、彼は、「マーシャルカーと2度キスした男」として有名になった。

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