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【F1動画】名ドライバー 不死鳥 ニキ・ラウダ

オーストリア生まれのF1ドライバー、ニキ・ラウダは、1971年にF1サーカスに登場、1974年にフェラーリに加入した。
翌1975年は圧倒的な強さで初チャンピオンに輝き、その勢いで1976年もかと思われたが、ドイツGPのクラッシュで大火傷を負い、生死の境をさまよった。

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再起不能と言われたニキ・ラウダは、その後日本GPで復帰。途中棄権したものの、「恐怖を抱く勇気がある男」と言われた。

1977年のニキ・ラウダは、2度目のF1チャンピオンとなり「不死鳥」と言われた。2度の王座に輝いた後、一度は引退する。そして、1982年、ロン・デニスのオファーによりマクラーレンからF1に復帰し、1984年にはアラン・プロストとの激闘の末に3度目のチャンプに輝く。



エンツォ・フェラーリは、「ラウダなら6度ぐらい王座を獲れたはず」と後に語っている。しかし、エンツォは1976年の雨の富士で棄権したラウダを責め、1977年のフェラーリはカルロス・ロイテマンを優遇する体制をとっていた。もしかしたらラウダは、エンツォが何人ものドライバーを酷使し死に追いやってしまったという過去を悟り、フェラーリを去ったのかもしれない。

【F1動画】1967年イタリアGP ジム・クラーク幻の勝利

1967年イタリアGPは、F1参戦第一期のホンダが2勝目を記録したレースとしても知られている。だが、このレースの注目すべきところは、別にもあった。

ロータスのジム・クラークは、13周目にパンクしてピットイン、周回遅れとなった。しかしクラークは、トップを2回もオーバーテイクして同一周回に復帰する。

上位陣では、ブラバムのデニス・ハルムとロータスのグラハム・ヒルのエンジンがブロー、ホンダのジョン・サーティース とブラバムのジャック・ブラバム二人のトップ争いになった。

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猛追したクラークは60周目、ついにサーティースとブラバムをパスしてトップに立った。しかし、生涯最高のレースをしたクラークに勝利の女神は微笑んではくれなかった。最終ラップにクラークのエンジンもブロー、ストップ。1967年イタリアGP。フライング・スコット、ジム・クラーク。彼は勝てなかったが、このレースこそ彼の25勝したどのレースよりも語り継がれることとなった。



さて、このレース。パラボリカでブラバムがインを突こうとして滑ってふくらみ、サーティースが抜き返す。サーティースがブラバムを0.2秒差で振り切った劇的な幕切れであった。ブラバムはスリップストリームからサーティースを抜けたと思っただろう。しかし、そう思った時はすでにコントロールラインを通過。チェッカーはサーティースのものだ。

【F1動画】1991年ポルトガルGP マンセル失格

1991年ポルトガルGPは、スタートでナイジェル・マンセルが2位に上がり、ウィリアムズのワンツー体制を築く。リカルド・.パトレーゼはマンセルにトップを譲り、30周目にマンセルがピットイン。

ウィリアムズのクルーはいつものように作業を済ませ、マンセルを送り出したかに見えた。が、ピットアウトしようとマンセルがステアリングを切った瞬間、右リアタイヤが外れたのである。マシンはピットレーンでストップした。

⇒【F1動画】1991年ポルトガルGP マンセル失格

ピットレーン上で作業を行うことは、レギュレーション違反となっている。しかし、事態に慌てたウィリアムズのクルーは、ピットレーン上で復旧作業し、マンセルを送り出した。

マンセルは復帰して追い上げたものの、52周目にブラックフラッグが振られ失格となった。ちなみに、1989年のポルトガルGPでも、マンセルはピットインの際リバースギアを使い失格となっている。


ただし、このレースのファステストラップは、一般的には36周目のマンセルのものとされている。マンセルは、同年カナダGPでもファイナルラップ中にストップしてしまうという事態を起こしている。その原因は観衆に向かって手を上げようとしたところ、スイッチに手が当たってエンジンが停止したのだ。この2つのレースで勝てていれば1991年のF1チャンピオンになっていた可能性は十分にあった。

【F1動画】F1グランプリ1983年総集編 チャンピオンはネルソン・ピケ

1983年のF1サーカスは、コンストラクターズタイトルを獲得したのはフェラーリ。一方、チャンピオン争いはシーズン終盤、一気にもつれこんだ。

第11戦までは、ルノーのアラン・プロストがポイントリーダー。プロストに念願のチャンピオンが見えていた。しかし、次のオランダGPで、ポイント2位、ブラバムBMWのネルソン・ピケとプロストは接触し両車リタイアしてしまう。ここから流れが変わっていった。

⇒【F1動画】F1グランプリ1983年総集編 ネルソン・ピケ逆転チャンプ

BMWエンジンのパワー向上に追い風を受けて息を吹き返したピケは、イタリアGP・ヨーロッパGPと2連勝。逆にプロストは進化が止まったルノーに嫌気がさし、一気に失速していく。

最終戦でもピケは絶好調、プロストはトラブルでリタイアした。ピケはペースを落として安全第一で走り、3位で2回目の王座を仕留めた。ルノーとの仲が悪化したプロストはシーズン終了後マクラーレンへ移籍する。

【F1動画】ハミルトン カートクラッシュ

2007年6月、マクラーレン主催のイベントがロンドンで行われた。

特設のサーキットは、キッズカートのコースより狭い。そこを縫うように走るルイスのカートは、さすがにアクセル全開とはいかないようだ。

⇒【F1動画】ルイス・ハミルトン カートクラッシュ

⇒【F1動画】ルイス・ハミルトン カート時代の動画検索

ルイス・ハミルトンは、小林可夢偉が全日本ジュニアカート選手権を制する5年前の1995年、イギリスの幼少年クラスのカートチャンピオンとなったが、かつてのカートの名手も、このコースは手に負えない。

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