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【F1動画】1977年日本GP ジル・ヴィルヌーブクラッシュ

ジル・ヴィルヌーブのドライビングは、ティフォシたちを熱狂させる一方、多くのアクシデントを生んだ。

F1GPデビューイヤー1977年の富士スピードウェイ。スタートから6ラップ目。ヴィルヌーブのフェラーリは、1コーナーの進入でロニー・ピーターソンのティレルに追突。観客やマーシャルら10数人を巻き込む大惨事となった。

F1グランプリの日本開催は、2年目のこの年をもって中断し、鈴鹿で再開されるまで10年の年月を要することとなる。

Shows the wreckage of Gilles Villeneuve's and Ronnie Peterson's cars right after the crash

⇒【F1動画】1977年日本GP ジル・ビルヌーブクラッシュ



【F1動画】1992年 ウイリアムズFW14B リアクティブサスペンション

F1の1992年シーズン、ハイテクノロジーで武装しナイジェル・マンセルをチャンピオンに導いたウイリアムズFW14B。
走行中にコンピューターが路面の凹凸を感知し車高を制御するリアクティブサスペンションが採用された。今回の動画はその作動テストの様子である。

⇒【F1動画】1992年 ウイリアムズFW14B リアクティブサスペンション

【F1動画】1988年ポルトガルGP プロストvsセナ

1988年のF1ポルトガルGP。1988年F1シーズンを席巻したマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとアラン・プロスト。どちらかが勝てばタイトルに王手をかける。

オープニングラップ最後のメインストレートで、セナがプロストに幅寄せしたことでタイヤが接触し、この先の2人の確執が始まる。

レースはプロストが制し、タイトル争いは次の日本GPへと持ち越すこととなった。

⇒【F1動画】1988年ポルトガルGP プロストvsセナ

【F1動画】1986年中嶋悟F1グランプリ参戦記者会見

1986年。中嶋悟、33歳。
全日本F2選手権チャンピオンに輝くこと5回、イギリスに住みヨーロッパF3000に参加。日本でのレースのたびに帰国する。そして、F1の名門ロータスチームと1987年のF1ドライバー契約。

この動画は、中嶋悟がロータスからF1デビューを果たす前年、1986年夏の鈴鹿サーキットでのインタビューから始まる。

この日行われたHONDAエンジンテスト。なんと、ウィリアムズ・ホンダを駆る中嶋。最終コーナーを立ち上がるマシンが奏でるのは、いわゆる「ホンダミュージック」。エキゾースト・ノートは、あたかも和音のようにメインスタンド前に響きわたり、すぐさま1コーナーからS字へと駆け抜けていく。

動画の最後には、F1グランプリ参戦記者会見の模様も。ちなみに、2007年F1グランプリ最終戦でデビューを飾ることとなる長男中嶋一貴は、このとき1歳半。

「フォーミュラ1が一番遠くだからね。その一番遠いF1に近づくために走ってきた。モータースポーツはリアルスポーツ。作りごとはカッコよくないんだよ。あえてボクは派手なパフォーマンスはしない。走っているボクの姿をカッコいいと思ってくれる人がいたら、それでいい」by中嶋悟
いつものように淡々とした語り口だが、その言葉の端々に中嶋悟の強い意志が感じられる。

⇒【F1動画】1986年中嶋悟F1グランプリ参戦記者会見
※Youtube動画「Satoru Nakajima interview 1986」は削除されており、2011年6月時点ではご覧になれません。

【F1動画】F1 1987年オーストリアGP スタート事故の原因と結末

1987年Fオーストリア1GP。
エステルライヒリンク(現A1リンク)で行われた最後のレースだ。スタートで多重事故が発生し、3回目でやっとレースが始まった。

優勝はなんとスタートでの多重事故の原因となったウイリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセル。事故に巻き込まれた関係者には、どうにも納得のいかない踏んだり蹴ったりのグランプリだった。

⇒【F1動画】F1 1987年オーストリアGP スタート事故の原因と結末

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